2013年7月24日水曜日

WYD開会ミサでのオラニ枢機卿の説教

愛する青年の皆さん、

 教会の様々な指導者の皆さん、市や軍の権威の皆さん!最初のプロトコルに名指されているみなさん。愛する神の民!

  2013年リオのワールドユースデーが始まっています!この素晴らしい街はみなさんの滞在でさらにもっと美しくなりました!大いなる喜びがわたしたちに押 し寄せています。なぜなら、あなたが、君がここにいるからです。地球のあらゆるところから皆さんはやって来ました。この数日、ここは皆さん全員の家庭にな ります。君はこの歴史の美しく重要な時に私たち家族の一部を成すのです。

 誰もが旅行の遅れや場所の異動で疲れながらやって来ました。今回は主であるイエス・キリストといるために、その弟子として生きるためです。これはわたしたちの体験に、宣教師の熱意をもたらすでしょう。行って、弟子としなさい!

  リオ・デ・ジャネイロの聖セバスチャン大司教区は、2011年8月にマドリッドでのミサの終わりの宣言で、今は補佐司教である当時の教皇ベネディクト十六 世によってなされた選びという大きな責任を任されました。その選びと指導、WYDのテーマと励ましに感謝しています。わたしたちは今も彼が祈りにおいてわ たしたちについてきており、マスメディアを通してわたしたちと心を一つにしていると知っています。彼に、わたしたちの情愛に満ちた挨拶を送ります。

  そうは言っても、摂理的に、26年たって、WYDのラテン・アメリカへの帰還の、二度目の旅行となる予定でした。それが、ラテン・アメリカの歴史で初めて の教皇、パパ・フランシスコの初めての使徒的訪問を歓迎することになり、聖セバスチャンの地で教会のいのちにおけるこの美しく重要な時を司式することに なったのです。月曜日に、この町の通りで彼を迎えましたが、来る木曜日には、この場所で、おごそかに彼を公的に迎えることは大きな喜びです。ラテンアメリ カの歴史で初めてのパパは、パパとしてラテンアメリカの地を踏むにあたり、この数日ワールドユースデーという聖地と化したこの町に降り立つのです。

  今週は、リオは生きた、若い教会の中心と化します。あらゆる道はわたしたちをここへと招きいれます。皆さんは世界の様々なところから、分かち合われた弟子 としての生き方の信仰と喜びを持ってきました。この幸せはわたしたちを力づけ、他の青年たちにわたしたちを近づけるようにと招き、あらゆる国々でわたした ちを宣教師にします。他の人に与えうる最高のプレゼントは、わたしたちを満たし、いつも兄弟愛に満ちた対話の中で自分自身を与え、愛するようにと促すキリ ストの現存に他ありません。

 ここで、わたしたちはまた、ほぼ二年ほどこの国のあちこちを回っていたワールドユース デーのシンボルに出会います。この中心的な式典で今や据えられている十字架とマリアの若さのイコンです。これらのシンボルが2011年の8月にスペインの マドリッドで手渡された時、この国の青年たちを感動が捉え、熱心にこの期間それぞれの共同体にこれらを迎えてきました。

  わたしたちと共に、市を通して、ワールドユースデーの守護聖人や取次者たちの聖遺物が回っています。それはどの時代にも、どこにでも聖なるものとされた青 年たちがいることを思い出させてくれます。わたしたちはこうした人々の家族の一員です。彼らはキリスト者の模範であり、今日の青年層のためにわたしたちと 共に祈っています。

 和解熱意があらゆる端々まであり、福音の社会的結果をもって、本物のキリスト者としての生活の証しに一致しようとする若いキリスト者の顔つきを示さなければなりません。

 わたしたちは新しい世界の主役となるように呼ばれています。わたしは、みなさんが自分の町や国でこれを行うことを確信しています。世界は君のような若い人を必要としているのです!

  ちょうど先ほど、福音を聞きました。イエスがマタイを弟子になるようにと呼ぶところです。そして彼を呼ぶにあたって、憐れみを経験するために罪びとの皆さ んが到着したばかりだと告げられます。信仰の義務に呼ばれている人々の間にいるわたしたちのところに来たのです。パウロがローマ人たちに言っている通りで す。「わたしたちは使徒となる召し出しの恵みを受けました。わたしたちは召し出しによって神の聖なる愛されるイエス・キリストの弟子となるように呼ばれた のです」。

 第一朗読では、詩篇と共に、わたしたちの答えが心構えをもってなされなければならないと言っています。 「わたしがここにいます!わたしがここにいます!あなたの僕は聞いてますから語ってください!それはもうわたしたちは、喜んで、主のみ旨を行うために来た のです!(詩篇39/40)。

 この聖書の表現こそが、わたしが、今日もいつまでも皆さんの唇と心のうちに会ってほしいと望んでいることです。主よ、わたしたちがここにいます!マタイと同じように、皆さんも挑戦と喜びに満ちた神への『はい』という答えの結果のために用意できています。

  それは海岸のこの素晴らしい風景の舞台にわたしたちを集めてくださったあの方の呼びかけです。この舞台は温もりに満ちた抱擁を差し出すあがない主キリスト のうちに、コパカバーナのマリアへの最初の捧げにふさわしいその名を受けています。海、砂浜、岸辺、そして人々はマタイ以外の召し出しを思い出します。こ の状況はイエスに従うようにと呼ばれたあの人々に浜辺に残された小舟へと導きます。今日この頃では、わたしたちは復活されたキリストに従うように呼ばれて います。

 師であるイエスは、深みのある水、わたしたちの洗礼の水の中で泳ぐようにと招いています。そしてこれは信 仰年の心臓部にある美しい国際的な集いなのです。信仰年は、わたしたちがキリスト者の共同体において自分の献身を刷新するのにぴったりの時です。わたした ちは多元化し、この時代の変遷期における多くの問いかけがありながらも、聖霊の働きによって導かれた信仰の熱心と一貫性をもった深い信仰を生きるようにと 招かれています。

 マタイの応えをよく考えると、わたしたちが師イエスにポジティブに答えるために立ち上がる時に、 イエスはマタイがしたのと同じ答えを聞くのです。イエスはわたしたちの家で夕食をし、わたしたちのいのちを変えるために来ます。第一朗読のサムエルにとっ て、呼びかけは夢のようでしたが、神の声を識別することのできる仲間の手伝いで、それが本当のものであることを知ることができました。宣教の歩みには識別 が欠かせません。ユートピアのような夢もあります。それも、わたしたちの側にいて神の声を認識できるようにしてくれる誰かの助けによります。パウロのよう に、わたしたちはキリストのしもべです。召し出しと神の福音によって選ばれた使徒たちの僕なのです。

 愛する青年の 皆さん、大司教区は皆さんを迎えるようにとの神の呼びかけを感じました。わたしたちは皆サムエルやパウロ、マタイのように答えています。わたしたちがここ にいます!わたしたちがここにいます!と。わたしたちの小教区も、家庭も、学校も、司牧協会も、運動も、奉仕のグループもです。わたしたちの家は皆さんの 家です!この今という時に、愛の革命があります。他の人というのは、わたしたちにとってはキリストなのです!他の人というのはわたしたちの兄弟です。世界 じゅうに鳴り響きますように。わたしたちは兄弟による世界の建設に同意して生きるようにわたしたちは呼ばれているのです。わたしたちは一人ひとりが、そし て全員がキリストの腕の中で歓迎されていると感じてほしいと思っています。キリストはすべての人を、神の国の建設のうちに彼と共にいるようにと呼んでいま す。一緒に行きますか?

 キリストはわたしたちに頼みます。おいで、仲間たちよ!と。この川を通って、わたしたちが いくところで兄弟愛を広めることを通してあがないにの臨在を示す代理人、ペトロの後継者の歩みが入ってきますように。わたしたちが世界に人のあがない主か ら流れ出る聖性を生きることを打ち立てながら平和と調和の死者となることができますように。
 
 そして師の周りで、この地球のあらゆる隅々にいる他の若い弟子たちと共に「主よ、ここにいるのは何とよいことでしょう!」(マタイ17章4節)と言いましょう。

 新しい世界に献身するためにイエス・キリストの証しであるこの町を通って歩くこと、「目覚めた昼間のようにキリストの喜びと平和をもって全世界を感染させること」です。神の計画の光に向かって世界の刷新において働きながら。

  この力強い長い巡礼をわたしたちは生きています。なぜならイエス・キリストがわたしたちの間に生きておられるからです。わたしたちにその聖霊を与え、わた したちはこの現実を生き、接触でき、理解できる他の人々にこれを伝えるために呼ばれています。イエス・キリストはいつもそこにいます。特に真理、正義、平 和を求めている青年のために(そしてイエス・キリストのうちにのみこれを見出すことができるのですが)。

 愛する青 年の皆さん、あなたたちは価値観の危機に解決を待ち望んでいる社会にとって希望の賜物なのです。皆さんは信仰を生き次の世代にそれを伝える新しい世代を形 作るようにと呼ばれています。フレッシュな(出来立てほやほやの)信仰の経験をするようにとわたしたちを招いているのです!共同体での参加、熱心になる機 会というのは、わたしたちの兄弟姉妹と共にあり、別の世界はありうる、と宣言しています。一番の巡礼者は既にわたしたちの間にいます。教皇、パパ・フラン シスコですが、この数日の旅行でわたしたちと共にいることになります。愛する青年の皆さん、キリストに心を開くのを恐れないでください!

  乗り越えられなければならない障壁と不正はたくさんあります。壁と障害のあるところに橋を建設しましょう。世界は、皆さんを通して、連帯、参加、あがない 主キリストの愛の受容の証しとならなければならない街なのです。もう光に満ちた朝に向かう態度になっていく信頼と希望に目覚める時なのです。

  マリアには、多くの呼称がありますが、ここブラジルでは、アパレシーダのマリアの名で、一番の守護者として呼ばれています。また、ペーニャの聖母、ナザレ の聖母もあります。マリアはあらゆる青年にとって、同伴者であり母であったし、今もそうです。彼女に皆さん一人ひとりを委ねます。そうしてわたしたちに示 されるキリストを受け入れ、新しい福音化の弟子であり宣教者として世界を歩み、希望の新しい曙が目覚める時の朝の守衛のように、新しい世界の主役となって ください。キリストは復活されました。そして皆さんは前進しなさい!聖霊がわたしたちをこの人生において照らし、御父に人々を連れていくわたしたちの使命 を理解できるための光を下さいますように。

 今日、旅が始まります。あがない主キリストはわたしたちに言います。 「おいで、仲間たちよ!」と。旅の間に、「主よ、お話し下さい。あなたの僕は聞いております!」ということを学んでください。そして主に聞くたびに、主は わたしたちに「宣教師になりなさい(福音をのべ伝えよ!)」と言います。「言って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」と。そしてわたしたちはこう答え ましょう。「主よ、わたしたちがここにいます。わたしをお遣わし下さい」と。