ここのところ、祝いが続きました。
18日。同僚のダヴィッド神父。去年の腎移植から、非常に順調で、健康体で今年は36歳を迎えました。

1年、1年を重ねて、ますます恵みに開かれ、これを分かち合えますように。
ちょうど道すがら、「政治家サン・マルティン」という名の町を通りかかるにつけ、その町の聖霊刷新祈りのグループ青年部のリードをしている女の子から、「ぜひ、ぜひ、通りかかるならうちの祈りの集いに顔を出して!」と頼まれていたので、通りかかって30分ほど歌って祈って、祝福をしてから、さらにレシステンシアまでの旅をし続けました。
夜は、フォルクローレや、命に語りかける歌、意味のある歌の披露、ダンスなどがあって、小生も何曲かスペイン語で、それから日本語では島唄と「キリストの平和がわたしたちの心の隅々にまで行き渡りますように」の歌を分かち合いました。
分かち合いの風景
聖体礼拝の風景。この日、この小聖堂に聖体顕示台がないのに気づいたので、香部屋にあった古い台付の十字架、イエス像の頭の上あたりにセロハンテープで髪を留めるピンを張り、ここに聖体をはさんで礼拝しました。これが、摂理だったというか、十字架にかかったイエス様の上で、かけらになった聖体をながめることで、我々のために傷つき、避けられて下さったよき牧者の愛を、青年たちが、言葉を超えて体験することになりました。