2010年10月7日木曜日

7月9日~11日、青年たちによる聖霊による再刷新の第一回黙想会。

 本当は、7月の2日から20日まで、メキシコでの養成担当者の研修会が企画されていて、これに行くためにコルドバから飛行機にも乗ったのに、ペルーのリマ空港での乗り換えの時に、「パスポートを見せて下さい」「はい」「あれ、どうして穴だらけなの?」「え?穴?」「ほら、これ、あ、VOIDって字が出てきた。だめだねぇ」「え、だめって?」「新しいパスポート、もしかして取得した?」「えぇ、はい、まぁ、ちょっと前に」「どこにあるの?」「いや、ポサダスの自室に」「だめだね、戻らないと」「えええええええええええええええ、でもこのパスポート、10年前に、7月28日に切れるってことで買ったんですよ!」「いやいや、新しいパスポートを手に入れた時点で、古いパスポートは使えなくなるの」「いや、そんな、まさか、グアダラハラで司祭の研修会があるんですけど、例外とかは?」「だってここで通しても、メキシコで同じことになって、戻らないといけなくなるんだから、はい、終了」という会話があり、まぁ、普通ならここで落ち込んで残念!というか切腹!となるはずなんですが、聖霊に満たされた状態にあると、「きっとこれは霊的なトリックがあるに違いない。神様がどうしてもこの期間をミシオネスで過ごせ、という何らかの理由があるだろう」という風にとらえることができるわけです。

 そんなわけで、大損とドジを踏みながら帰国をしたところで、早速「しるし」があったというか、おぼしめしと言うか、み摂理と言うか、もう7月は、本当に小生のカリスマを必要とした黙想会や個人的な面談に矢継ぎ早に囲まれました。その一つがこちらの黙想会。

 実は、この黙想会、去年発足したオベラ教区の司教が、自ら聖霊刷新グループの指導司祭として名乗り、新教区初の黙想会の扉も開き、けれども5月の下旬に世を断たれて、グループのみなさん、牧者のいない羊のようになっていたわけです。で、前々からこの日付に呼ばれていたんですが、「いや、メキシコにその日程いることになっている」とずっと断ってきたんですねぇ。結局、他にすることもなかったので三日間黙想参加者の一員として、と思って顔を出したら、最終的に霊的指導を最初から最後まですることになりました。
 しかも、黙想会のタイトルは、ヨブ記からとって「かれらはわたしから名誉を取り去り、わたしの頭から冠をはぎ取った」というえげつないタイトルで、このタイトルを聞いた一か月前に、責任者に、「本当にこんなタイトルで黙想会するの?」と、まぁ自分には他人事だろうと思いながら半分嘲笑っていたんですが、ちょうどこれはまさにお金のかかった証しを小生がすることになったんですね。「わたしから管区を代表する名誉を取り去り、わたしの財布から飛行機のチケットをはぎ取った」(大笑)、けれど、これでめげずに神様の摂理に信頼し続ける人は、すぐにより大きな恵みに開かれる、という締めくくりをしたわけです。神に感謝!

 歌に体で応えて神に向かう準備をします。
 個人黙想の時間。
 食事!
 グループでの学びと霊的体験に関する分かち合い。
 総合写真!

7月3日、飛行機から降りて

アルゼンチンがドイツに負けた日、後記いたしますが、メキシコの土をもう少しで踏む、ということろでドジを踏んで、おずおずペルーからコルドバの空港に戻りました。そこで、志願院を通ってミシオネスに向かう、という。

けれど、召命斡旋担当者は斡旋する人なだけあって、へこたれてはならない。早速志願生たちと祈りの時を分かち合いました。

午前中、ミシオネス行きのバスチケットをとりに行った時、うちの会の本屋に寄ると、「夕方5時の癒しのミサに顔を出してよ」と言われて・・・

パラグアイが試合をしていたというのに、2000人もの人が癒しを求めてミサにやってきていました。

ミサが終わったところで、ミサにボランティアと音楽の奉仕をしていた青年たちに、「これから何するの?」と聞くと、「バーにいって夕飯です」と言うので、「俺真夜中の11時55分がバスの出発時間だから、一緒にいていい?」というかんじで、バーに行って分かち合い、歌までギター弾きながら歌って、宣教師みたいな夜を過ごしました。ほら、へこたれない、へこたれない。

2010年10月6日水曜日

6月29日、聖ペトロと聖パウロの祝日

二人の聖人の祝いに、カルメル観想会のシスターたちが、司祭たちに対してオープンハウスを催しました。その最初の部分は、カルメルの霊性に従った観想の一時間、その後、観想修道院内の中庭でガーデンパーティーでした。



夕方には、司教司式の修道者たちに向けてのミサがあり、神言会の神学生たち、大いに活躍していました。



6月28日~ 養成の家めぐり

せっかくのコルドバ滞在と言うわけで、神言会と聖霊会のほかの養成段階の共同体を少しめぐって、新しい息吹を交換してまいりました。
 修練院、薪を作っているのか、鶏をほふっているのか。
 修練院、休憩時間。チリ対ブラジル。チリから来た修練士はがっくり。
 修道士の養成の家。コルドバの中心地、カテドラルから100メートル足らずの町のど真ん中です。このタイプの養成の家を、「現場に取り込まれた宣教者養成の家」と言うようなネーミングで呼ぶことができるでしょう。
 聖霊会の志願院。これも、アルグエリョという町の中心地、団地の一角に家をもっています。地域の人々の生活のリズム、騒音に密着した養成の家です。

6月25日~27日、志願生のための黙想会「どこに立っているんだろう?」

コルドバにいる志願生のために黙想会をしてくれと頼まれて、行ってきました。
『どこに立っているんだろう?』というのが題目で、マルコによる福音の7章、カナンの女性が現れる場面から変容の前の場面までを、地理的な環境や心理状況の彼らの現実に照らし合わせた内容になりました。

6月20日、家庭訪問

 堅信式。亡くなられたヴィクトル司教に代わってアルベルト管区長が司式。

オベラで、黙想指導に当たった堅信のグループのみんなの堅信式に参加。
その足で、この方面からの神学生の家族を訪れました。ビデオレターを作ってコルドバに持っていくためです。
 コロンビアから海外研修を終えて帰ってきた神学生の家族。
 アザラの教会のドイツ人の神父さん。この教会出身の神学生の友人たち。そのうちの一人はドイツから来た、軍隊の奉仕の代わりの研修生です。

6月17日~19日、「沖にこぎ出せ」練成会

神言会の高校、聖ロケ・ゴンザレス高校の生徒たちに、練成会が催され、随伴司祭として呼ばれました。船のいろいろな部分を霊的生活のいろいろな側面と比較して、証しを中心に三位一体に生きる道を学びます。