本当は、7月の2日から20日まで、メキシコでの養成担当者の研修会が企画されていて、これに行くためにコルドバから飛行機にも乗ったのに、ペルーのリマ空港での乗り換えの時に、「パスポートを見せて下さい」「はい」「あれ、どうして穴だらけなの?」「え?穴?」「ほら、これ、あ、VOIDって字が出てきた。だめだねぇ」「え、だめって?」「新しいパスポート、もしかして取得した?」「えぇ、はい、まぁ、ちょっと前に」「どこにあるの?」「いや、ポサダスの自室に」「だめだね、戻らないと」「えええええええええええええええ、でもこのパスポート、10年前に、7月28日に切れるってことで買ったんですよ!」「いやいや、新しいパスポートを手に入れた時点で、古いパスポートは使えなくなるの」「いや、そんな、まさか、グアダラハラで司祭の研修会があるんですけど、例外とかは?」「だってここで通しても、メキシコで同じことになって、戻らないといけなくなるんだから、はい、終了」という会話があり、まぁ、普通ならここで落ち込んで残念!というか切腹!となるはずなんですが、聖霊に満たされた状態にあると、「きっとこれは霊的なトリックがあるに違いない。神様がどうしてもこの期間をミシオネスで過ごせ、という何らかの理由があるだろう」という風にとらえることができるわけです。
そんなわけで、大損とドジを踏みながら帰国をしたところで、早速「しるし」があったというか、おぼしめしと言うか、み摂理と言うか、もう7月は、本当に小生のカリスマを必要とした黙想会や個人的な面談に矢継ぎ早に囲まれました。その一つがこちらの黙想会。
実は、この黙想会、去年発足したオベラ教区の司教が、自ら聖霊刷新グループの指導司祭として名乗り、新教区初の黙想会の扉も開き、けれども5月の下旬に世を断たれて、グループのみなさん、牧者のいない羊のようになっていたわけです。で、前々からこの日付に呼ばれていたんですが、「いや、メキシコにその日程いることになっている」とずっと断ってきたんですねぇ。結局、他にすることもなかったので三日間黙想参加者の一員として、と思って顔を出したら、最終的に霊的指導を最初から最後まですることになりました。
しかも、黙想会のタイトルは、ヨブ記からとって「かれらはわたしから名誉を取り去り、わたしの頭から冠をはぎ取った」というえげつないタイトルで、このタイトルを聞いた一か月前に、責任者に、「本当にこんなタイトルで黙想会するの?」と、まぁ自分には他人事だろうと思いながら半分嘲笑っていたんですが、ちょうどこれはまさにお金のかかった証しを小生がすることになったんですね。「わたしから管区を代表する名誉を取り去り、わたしの財布から飛行機のチケットをはぎ取った」(大笑)、けれど、これでめげずに神様の摂理に信頼し続ける人は、すぐにより大きな恵みに開かれる、という締めくくりをしたわけです。神に感謝!
個人黙想の時間。
食事!
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