2009年7月4日土曜日

神言会必携書西語版邦訳7

神である父

聖アーノルドヤンセン、

神の神秘にとらわれた男


 神の論理により深く携わり、すべてを支配される神の偉大さにますます満たされているのを感じるようになって、アーノルドヤンセンの祈りのスタイルだけでなく、発展的に様々な側面が形を整えていきます。考え方も変わっていき、最終的に、身の振りまで変わってきます。信仰の光によって、神的存在者の偉大さの観想に関して、早速答えがみられるようになりました。「わたしは至高なるお方、宇宙万物の主でありわたしの主であるお方をあがめよう。そしてそのみ旨を果たすことで彼に奉仕したい」

 実際、神の真骨頂の偉大さに取りつかれたアーノルドヤンセンは、1865年ころからその司祭としての人生において他の航路を取り始めました。より司祭としての、また司牧的なラインから解放されて、教区レベルの、イエスの御心に敬意を表した「祈りの使徒職」の促進者、のちに担当者(1869年)になります。「イエスの御心の大いなる意向」にフルタイムで携わるために、ボッホルトでの教師の座を降り、宣教の色彩ある雑誌「Kleiner Herz-Jesu-Bote(小さなイエスの心の伝達者)」を創設します。ドイツ出身の信仰の伝達者がより多く得られるべきだ、という憂慮が、のちに、彼をして宣教事業の創立者になるという神の召し出しの認識へと導いていくことになります。

Jacob Reuter, Cautivado y enviado por el Espíritu, Verbo Divino, Estella, 1996, 27.

7. 父の歩みに出会うこと

(神の動詞<みことば>聖書センター、ラファエル・カルサーダ)


黙想のためのみ言葉:

幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを/知らせるからである。これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、/高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、/我らの歩みを平和の道に導く。」(ルカによる福音 1章76節ー79節)

アーノルド・ヤンセンの面影:

「神のみ旨をしっかり知りなさい、そして、やる気を出して、技に取り掛かりなさい」


良い父よ、歴史の主よ、
わたしたちのまなざしを明らかにしてください。
わたしたちの耳に驚きを与えてください。
わたしたちの心を揺るがして下さい。
わたしたちの確信に揺さぶりをかけて下さい。
しつこく訴えて下さい、父よ、しつこく訴えて下さい。


わたしたちは、誤ったところであなたを探し、
わたしたち自身の声に耳を傾けることに
慣れ親しんできました。
そして昨日と同じく、
今日も歴史に生まれ、
動きのある命に生まれ、
わたしたちの身の回りに起こることに生まれ、
社会に生まれ、世界に生まれ、
家庭に生まれ、近所付き合いに生まれ、
仕事場に生まれ、勉強の場に生まれ、
すべてに生まれ、一人一人に生まれるあなたの呼びかけのこだまを
新たに見出すのがなかなかできずにいます。

聞いて下さい、父よ、
今一度学び直す必要があるのです。
どうすればあなたの歩みを見出すことができるのか、
どうすればあなたの信号を読み取ることができるのか、
どうすればあなたの声を聞くことができるのかを。
わたしたちを、信仰と希望をもって
「あなたはいのちの神」
「あなたは歴史の主」というに至らせる道を
わたしたちに示して下さい。
アーメン。

7月2日、ヴィセンテ神父の餞

一日中かけずり回った後で、インドへ休暇で旅する前夜のヴィセンテ神父を招いて、ボガと呼ばれる魚で夕食を分かち合いました。良い旅を!

29日、聖ペトロ、聖パウロの祝日

この日は小生の霊名の祝いだ、ということで、がんばってアポストレス市に行き、その守護聖人の祝いに参列しました。隣町ではたらくインド人のジョニ神父を探しに行って教会に向かうと、ボリビアで働くアポストレス出身のペドロ神父が訪れていて、神言会会員は3人になり、しかも霊名を祝うのは24日のジョニ神父の祝いも含め、我々3人だけでした。
 小生、ペドロ神父、ジョニ神父。
 ミサ
 ミサの後、聖人たちの像とともに行列して街を一周しました。
 行列の締めは、国歌斉唱です。
 昼食は、家族を近くに持たない司祭団とシスターたちで囲みました。

せっかくアポストレスまで出かけたので、この日誕生日を迎えていた、8年越しの仲良しの友人サブリーナのはたらく学校に押し掛けてびっくり誕生日訪問をしてきました。雨が降ったので5人しか子供が学校におらず、下校の時間まで歌を歌ったりかくれんぼしたり塗り絵をしたり、というのに付き合って過ごしました。

ヴィリャ・カベリョへの帰路、聖マリア高校静修の家のシスターからメッセージが届き、聖霊会の福者ホセファ・ヘンドリーナ・シュテンマンスの列福一周年記念のミサをできないかとの質問で、せっかくだからということでOKの返事を出して、夜、修院に直行して聖体祭儀と分かち合いのひと時を持ちました。

28日、選挙の日

 日曜日は国レベル、州レベル、市町村レベルでの一斉代議員選挙でした。おかげで当初予定していた召命黙想会はこの日ではなく、3日から5日に延期されたわけですが、裏があって・・・。
 4月の終わりから、全世界で知られているように豚インフルエンザが騒がれ、これが豚ではなく、A型インフルエンザと名前を変え、いつでも人込みは危険だったし、熱のある人は家で寝ていなければならない、というのは日本人であれば常識だったのですが、アルゼンチンは選挙を優先して、死者が出ていたにもかかわらず、選挙当日までは(何しろ人に投票してもらわないと勝てないわけですから)まるでインフルエンザの影響はないような言い方をしてきて、急きょ選挙の終わった二日後から、学校は閉鎖しろだ、集いは中断しろだ、と言い出して、結局病気と全然関係のない集いまで閉じなければならなくなってしまいました。
 興味深いのは、こうした選挙がらみの不道徳を別にして、前にアルゼンチンに初めて来たときに、冬が近づいたのでインフルエンザのワクチンを打ってもらいたいと思ったときに、そんなものはないと言われて、医療機関の整備されていない国だと勘繰っていたのですが、本当に「インフルエンザ」そのものがなかったんですねぇ。アジアでは当然だったのに、この国にはインフルエンザがなかった。
 そういうわけで、今回メキシコで始まったインフルエンザの騒ぎで、アルゼンチンの多くの人が、生まれて初めて「インフルエンザ」という単語を聞くことになったわけです。
 というわけで、今回、アジアからの宣教師たちは対処に慣れているので平然としているのですが、国と州が動揺していて、なんだかおかしな感じです。

 そんな傍ら、子どものコーラスの練習風景。

 先日不思議なめぐり合わせで出会ったもとシスターの橋渡しで、その義理の弟さんの誕生日を祝いに行くことができました。仕事が見つからず、落胆していたところで、励ましが必要だと頼みに頼まれて、ギターを担いで祝いに行ってきました。ついでに3軒彼らの関係の家々を祝別してきました。
 
 ふつうに誕生日を祝うだけでも、癒しのわざの示される時となり、神妙に時をつかさどる神様の摂理に深く敬服です。

6月27日、サン・ハビエル

サン・ハビエルの教会に属するイタカルアレという地域にある聖ペトロと聖パウロ共同体の、堅信のグループを応援するために呼ばれまして、ちょうどペトロとパウロの祝い日も近かったので、守護聖人の祝いの準備として3人の志願生を連れて集いを催しに行ってまいりました。
今回は、志願生の成長のために、ということもあって、彼らにイニシアティブをとってもらい、小生はギターでの盛り上げに回りました。
良い分かち合いの時となりました。神に感謝。

25日(木)、26日(金)

木曜日の昼は、聖マリア高校を経営している聖霊会の共同体と共に分かち合いました。以前召命担当者だったシルレーシスターとたくさん分かち合うことができ、学びの時となりました。

26日は、デルフォル志願生18歳の誕生日。けれど、ヴィリャ・カベリョで働いているフアン・マルキエヴィチ神父の81歳の誕生日でもあり、昼はデルフォル君の祝いの席を囲み、夜はフアン神父と共同司式をしました。二日前に養成担当のエクトル神父も、10日間のメキシコ訪問から帰ってきて、誕生日プレゼントに加えてお土産のシャツを配ってくれました。


23日、ヨーゼフ・マルクス神父の天国への派遣式

22日の月曜日の明け方に、ドイツ人宣教師、ヨーゼフ・マルクス神父が74歳の生涯を閉じました。当日の夕方には、彼の働いていたルイス・デ・モントージャの町で盛大な式が行われ、火曜日23日の朝、遺体が告別ミサと埋葬のため、ファティマに移されました。

ドイツに多くの宣教のための恩人グループを持っており、彼らを励ましてミシオネスの19の農業学校の経済援助、またグアラニー族の人権保護のためにかけずり回っていました。彼の穴埋めをすることのできる会員がいるかどうか、はっきりわかりませんが、できる範囲で彼の始めた宣教事業を支えていきたいと思います。お祈りください。

2009年7月3日金曜日

6月21日、22日

日曜日は父の日でしたがイエスの御心教会が祝いをしていたので、朝の二つのミサの後、イエスの御心教会で昼ご飯を司教さん、隣のルハン教会の主任司祭と、現地の主任司祭とで分かち合いました。
二次会と言いますか、アサドを焼いたりほかのものを売ったりしていた奉仕者のグループの昼食にも付き合ってからヴィリャ・カベリョの教会に戻りました。

6月22日、月曜日ですが、昼食をヴィリャ・カベリョで黙想の家を開いているカノッサ会のシスターたちと分かち合いました。日本でも、一人アルゼンチン人のカノッサ会員がいるとか・・・。