2013年11月14日木曜日

回勅『ルーメン・フィデイ(信仰の光)』56項、57項の訳

苦しみの中ではげましを与える力
56.聖パウロは、コリントのキリスト者たちに自分の艱難や苦しみについて書くにあたり、福音を宣べ伝えることと自分の信仰との関係を示します。そのように旧約聖書の言葉が成就するのだと言っています。「わたしは信じた、だから語ったのです」(IIコリント413節)。これは詩篇116篇の引用です。使徒は詩篇116編で詩篇作者が叫んでいる次のような表現について言及しています。「わたしは信じていた、『なんて自分は不運なんだ!』と言った時にも」(10節)。信仰について語ることはしばしば痛みの伴う試練について語ることにもなりますが、まさにその試練において聖パウロは福音に一番ふさわしい宣言を見出すのです。なぜなら弱さや苦しみにおいてこそ、わたしたちの弱さや苦しみを乗り越える神の力が示され、手で触れられるものとなるからです。使徒自身、死の危険にもさらされます。キリスト者たちにとっていのちに姿を変える死です(IIコリント4712節参照)。試練のときに、信仰はわたしたちを照らし、まさに苦しみと弱さのうちに、「わたしたちは、自分自身を宣べ伝えるのではなく、主であるイエス・キリストを宣べ伝えて」(IIコリント45節)いることが明らかになって表れるのです。ヘブライ人への手紙11章は信仰によって苦しんだ人々についての言及で終わりますが(ヘブライ113538節参照)、その中でも特筆されるのがモーセです。モーセはキリストの受けた侮辱を自分のものとしたのです(26節参照)。キリスト者はいつでも苦しみがあるだろうということを知っていますが、その苦しみが意義を与えることができるもの、愛の業や神のみ手のなかでの信頼に満ちた委ねに変わることができるものであることも知っています。その神はわたしたちを見棄てることがなく、このようにして、信仰と愛における成長のステージを作り上げることができる方なのです。キリストと御父の一致を見ながら、しかも十字架におけるこのうえない苦しみの時においても保たれた一致を見ながら(マルコ1534節参照)、キリスト者はキリストの同じまなざしに与ることを学ぶのです。さらに死さえもが照らされ、信仰の最後の呼びかけ、御父の口から発せられる最後の「あなたの住み慣れた土地を離れなさい」(創世記121節)とう呼びかけ、最後の「来なさい」(マタイ419節、1128節、1429節、ルカ195節、ヨハネ139節、1143節)という呼びかけとして体験されうるのです。その御父のみ手の中に、決定的な(天国への)一歩までをも支えてくださることに信頼して、わたしたちは自分の身を置くのです。

57.信仰の光は、わたしたちが世の苦しみを忘れるようなことには持っていきません。どれほど多くの信仰に生きる男女が苦しむ人々から照らしを受けたことでしょう!アシジの聖フランシスコはハンセン氏病の方から、カルカッタの福者マザー・テレサはその貧しい人々から。彼らはこの人々の中に隠れている神秘を捉えたのです。こうした人々に近づきながら、その苦しみのすべてを取り去ることはありませんでしたし、彼らを苦しめていた悪のすべてに何らかの成就の理屈を与えることもできませんでした。信仰の光は、わたしたちの闇のすべてを散らすわけではありません。そうではなく、ランプのように、夜道を行くわたしたちの歩みを導くのです。そして歩くためにはこれで充分なのです。苦しむ人に神は、すべてのことを説明する合理的な説明を与えるのではなく、共に歩む存在者としていることをもって応えるのです。そこでは良い歩みが苦しみの歩みと一つになり、光の隙間を開くのです。キリストにおいて、神ご自身がわたしたちとこの歩みを分かち合おうと望み、光を与えるためにその眼差しを差し出そうと望まれました。キリストこそがあの、痛みを耐えながら「わたしたちの信仰を創始し完成した」(ヘブライ122節)方なのです。信仰と希望、愛徳の醍醐味(Iテサロニケ13節、Iコリント1313節)は、わたしたちが「神が設計者であり建設者である」はずのあの都に向かうわたしたちの歩みのうちに全人類の心配事をすべて統合させることを可能にします。なぜなら「希望はわたしたちを欺くことがない」(ローマ55節)からです。
 信仰と愛徳の一致において、希望はわたしたちに確かな未来へとわたしたちを組み入れます。その希望は、世の偶像が夢想的に提案する、多様なものの見方のただ中に据えられています。けれどその希望は日々生きていくための内側からの促しの力と新しい強さを与えます。希望が奪われないようにしましょう。空間の中に姿を変えながら時間を分断する、道の妨げとなる即席の解決や提案で、希望が陳腐なものとされないようにしなければなりません。空間はプロセスをガラスのように固めて閉じ込めます。一方、時間は、未来へと向かい、希望をもって歩むように内側からの力で促すのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿