2009年8月5日水曜日

ジャクティンガでの三日間

9月の4日にジャクティンガというコロニー出身のウーゴ神学生が終生誓願を立てるので、彼の人生の大切な時を祈りをもって支えよう、ということで、会の側から、土地の人たちに、「誓願ってなんだろう」というのを一緒に考えてもらうひと時を提案しました。余すところ一か月というタイミングでの心の準備です。

7月31日。
第一日目:『聖別された(神様の聖性により密接にする)貞潔』について
 
ミサの初めに、ウーゴ神学生の準備した彼自身の召し出しの歩みをプロジェクターで映しだして鑑賞しました。そこから、「貞潔とは?貞潔を破るとどういう結果がもたらされるでしょうか?何が清潔を守るにあたって妨げになるのでしょう?」また、修道者がささげる「聖別された貞潔とは?」をテーマに分かち合いました。

  実はこの晩、今年終生誓願を立てることになっているもう一人のラウル修士が33歳の誕生日を迎えようとしていて、本当はジャクティンガに残る予定だったのですが、ひと頑張りしてポサダスまで戻ってきて、共に誕生日を迎える瞬間を祝いました。

8月1日。
この地域での滞在を有効利用しようということで、午前中は、コルプスという町で堅信と初聖体の準備をしている子供たちを集めて「グループダイナミックの伴うミサ」をしました。最初は隣のホールで歌や知り合いになるための遊びをし、引き続いて聖堂にやってきます。
第一段階:入口にきれいに整えられたテーブルを準備しており、ここで、「パーティーに来る気分」を思い出し、ミサは、神様がわたしたちに準備してくれるパーティーだということを思い起こしました。
第二段階:告解部屋の近くに椅子や聖画、聖書をひっちゃかめっちゃかに置いてあり、しばしば生じるわたしたちの心の状態を観想しました。そして、何か神様の助けで心を入れ替えたいことがある人は、これに近づいて椅子、聖像、聖書をきれいに整えることを通して体を使った回心の祈りに替えましょう、というグループダイナミック。
第三段階:その場で聖書が朗読され、引き続いてグループに分かれて「聖書の内容」「このみ言葉がわたしに語りかけていること」「今の若者や子供たちにイエス様は何をおっしゃられるだろうか」「わたしたちの祈り」を分かち合い、発表してもらいました。
第四段階:そのあと、裸の祭壇まで行列し、祭壇の意味、布をかける意味、死と復活の象徴の説明をしてから、祭壇を飾ってもらい、聖体祭儀を様々なシンボリズムを用いて執り行いました。

この日の夜のテーマは『福音的(善い知らせを生きる)清貧』で、シルレーシスターが、福音書の後に「井戸の水をくむための究極の選択」の挿話を用いながら農家の現実に触れる分かち合いをしてくれました。
夜は、土地の主任司祭が我々のためにアサドを準備してくださり、しかも隣町の主任司祭も一緒に分かち合いに来て、祝いの時となりました。

3日目。
午前中と昼食は、土地の聖霊会のシスターの共同体で、午後の青年の集いのための準備をし、また、昼食後にネストル修士がよこした、フィリピンで発表に使われた『南米の神言会におけるブラザーのアイデンティティ』のプロジェクションを鑑賞しました。
 

というわけで、午後3時から、再びジャクティンガに集まり、『あなたの生きておられるその場所を見せて下さい』の題目で集いをしました。
最近自分的にはやりになっている小さな足にどうやって祈りを覚えたかを書いて道に置いていく自己紹介をしてから、Sr.シルレーが『祈りとは』の講話をし、それからサムエルの召命の場面の劇をし、6つのグループに分かれてそれぞれ「どうして最初サムエルは神様の声を聞き分けられなかったのか」「わたしたちの現実で耳に入りやすい声は何でしょうか」「神様の声を聞き分けるために何が必要でしょうか」という問いを分かち合いました。
 
そのあと、10分の休憩をはさんで記念写真撮影をし、ある聖歌の歌詞をもとにして『今のわたしたちが体験できる形で、この歌詞の内容を劇にする』というグループダイナミックで集いを閉じました。
 
そのあと、6時から『使徒的(使徒たちがイエス様から学んだ)従順』をテーマに主日のミサを祝い、皆さんには来年の2月までに宣教グループとして成長してもらおう、という課題と、その2月に一緒に家々を回って集いをし、ウーゴ神学生の司祭叙階式に備えよう、という呼びかけをしました。

ミサを終えてから急いでゴベルナドール・ロカの主聖堂にもどり、そこでミサを終えようとしていた人たちに「お知らせ」の場面で我々の存在のPR、つまり、わたしたちが誰か、どこで何をどういう目的でしていたかを説明し、有志の人たちを、ミサの後ホールに誘い、ウーゴ神学生の「人生の歩み」のプロジェクションを披露しました。
こうして三日間にわたったジャクティンガとその周辺での活動の幕が降りました。

ヴィリャ・カベリョの主任司祭の帰還


7月30日(木)、朝8時15分、ようやくフィリピンから主任司祭のホセ・ビケ神父が戻ってきました。ナム神学生が料理してくれた昼食を共にし、ヴィリャ・カベリョでの主任司祭代行の仕事を終えました。これからまた召命募集一本の生活が始まります。小生のふがいない司牧に耐えて下さったヴィリャ・カベリョのみなさんに感謝。

2009年8月4日火曜日

コルドバでの養成・召命担当者ミーティング

27日月曜日、養成担当者と召命募集担当者のミーティングがコルドバであったので、往復40時間のバスの旅をしました。日曜日の正午にバスに乗って翌朝養成の家につき、月曜日の真夜中にバスに乗って火曜日の夜8時に戻ってくる、という旅で、霊的読書に没頭することができました。
 前半は、ネストル修士による、先月フィリピンで行われた神言会のブラザーの国際会議の報告。
 後半は、養成の将来について、特に修練期以降、南米(スペイン語圏)で神学を勉強する神学生の養成の家を一つにしよう、という意見が練られていて、これについての報告でした。
 この日、実家から戻ってきた志願生たちの歓迎会も重なりました。
  兄弟のように共に住むのは、美しく楽しいこと!
 
 コルドバにある神言会の本屋の入口で、病院の機器を手に入れるために使わなくなった鍵を集めるキャンペーンの箱がありました。ここで、6か月探し求めていた本(『La gracia y la vida entera』とヘンリー・ナウエンの『Direccion Espiritual』にようやくありつけました。
 夜、本屋の隣のドミニコ会の大聖堂のミサに与った時、信心で脇祭壇に来ていた人たちの姿があまりに絵画的でした。十字架のもとにたたずむ母マリアへの想いがにじみ出ます。

7月25日の活動

聖ヤコブの祝日。この日、ポサダスから南東に70キロほどに位置するコンセプスィオン・デ・ラ・スィエラの教会で「青年と宣教使命」の題目で半日の集いを開きました。
 寒いのに、頑張って布団から出てきた若者たち。
 主任代行のジョニ神父による開会のあいさつ、インドから出てアルゼンチンについてからたった6カ月ほどなのに、べらぼうに美しく正確なスペイン語を話します。
 
日本では使い古されている遊びですが、アルゼンチンでは誰も知らない「蛇じゃんけん」。知り合いになっていくグループダイナミックの一環で使いました。名前も、「トレン・トレン・トレン」と、リズムのある名に変えて。

 
 部屋の真ん中に、道があります。「誰とどうやって祈りを覚えたか」を赤ちゃんの足のサイズの紙に書いて、自己紹介の一部として発表し、道の上にその足を置いていく、というグループダイナミック。ここから発展して、祈りの先にあるお方(神様)を述べ伝えるのに必要な姿勢についての講話をし、人間関係トレーニングに使われる、「聴く実習」をしました。

午後は、ファティマに戻り、月の初めにインフルエンザを防ぐために取りやめになった召命黙想会に来たがっていた青年たちを集めて、聖体賛美と個人的な対話の時を持ちました。

夜、ヴィリャ・カベリョに戻ると、ナム神学生が中華料理を作ってくれました。そのあと、「友達の日(7月20日)」を祝っていた祈りの集いの青年たちとちょっとした分かち合いの時を持つことができました。
 


黙想会(20日―24日)

7月20日(月)から24日(金)まで、隠居司教のカルメロ・フアン・ジァクィンタ司教の指導のもと、黙想会が行われました。小生は木曜日の夕方で引き揚げ、ヴィリャ・カベリョでの黙想会に顔を出し、たくさんゆるしの秘跡をおこないました。

 

 黙想の成果、でしょうか…?

「神様との約束の日」という名の黙想会への参加者たち。
 

チャコ州での召命募集活動(17日―19日)

17日、ミシオネスを後にし、340キロほど離れたチャコ州のレシステンシア市に向かいます。
 その道すがら、休憩がてらイタティのバジリカを訪れて祈りました。

18日、午前中はルハンの聖母聖堂で堅信準備中の学生のための集いを催しました。
 

 合間に改装中の司祭館のツアーをアダン神父がしてくれました。

午後、本命の、『あなたが生きているその場所を見せて下さい』という題名で「召し出しの集い」が、聖ペトロ共同体で始まりました。
 5つのグループに分かれ、各グループ、ある頭文字を手にします、その音から始まる単語で今日のこの集いに向かう気持を表そう、というグループダイナミックです。各グループが発表し終わったところで、
すべての文字がそろい、「召し出し(vocacion)」という言葉が目に見えるかたちになる仕組みでした。
 
 フリアシスターが「召し出しとは?」という講話をしているところ。

19日(日)朝、一度土曜日に家に帰ってきた仲間たちが戻ってきます。


パトリシアシスターとテレシタシスター。







はじめに前日の体験と個人の沈黙における祈りの印象を分かち合いました。



伴奏のグループ



  昼で召し出しの集いが終わりました。

午後は、もう一足運んで、聖女リタ共同体で、青年の集いを催しました。