9月の4日にジャクティンガというコロニー出身のウーゴ神学生が終生誓願を立てるので、彼の人生の大切な時を祈りをもって支えよう、ということで、会の側から、土地の人たちに、「誓願ってなんだろう」というのを一緒に考えてもらうひと時を提案しました。余すところ一か月というタイミングでの心の準備です。
7月31日。
第一日目:『聖別された(神様の聖性により密接にする)貞潔』について
ミサの初めに、ウーゴ神学生の準備した彼自身の召し出しの歩みをプロジェクターで映しだして鑑賞しました。そこから、「貞潔とは?貞潔を破るとどういう結果がもたらされるでしょうか?何が清潔を守るにあたって妨げになるのでしょう?」また、修道者がささげる「聖別された貞潔とは?」をテーマに分かち合いました。
実はこの晩、今年終生誓願を立てることになっているもう一人のラウル修士が33歳の誕生日を迎えようとしていて、本当はジャクティンガに残る予定だったのですが、ひと頑張りしてポサダスまで戻ってきて、共に誕生日を迎える瞬間を祝いました。
8月1日。
この地域での滞在を有効利用しようということで、午前中は、コルプスという町で堅信と初聖体の準備をしている子供たちを集めて「グループダイナミックの伴うミサ」をしました。最初は隣のホールで歌や知り合いになるための遊びをし、引き続いて聖堂にやってきます。
第一段階:入口にきれいに整えられたテーブルを準備しており、ここで、「パーティーに来る気分」を思い出し、ミサは、神様がわたしたちに準備してくれるパーティーだということを思い起こしました。
第二段階:告解部屋の近くに椅子や聖画、聖書をひっちゃかめっちゃかに置いてあり、しばしば生じるわたしたちの心の状態を観想しました。そして、何か神様の助けで心を入れ替えたいことがある人は、これに近づいて椅子、聖像、聖書をきれいに整えることを通して体を使った回心の祈りに替えましょう、というグループダイナミック。
第三段階:その場で聖書が朗読され、引き続いてグループに分かれて「聖書の内容」「このみ言葉がわたしに語りかけていること」「今の若者や子供たちにイエス様は何をおっしゃられるだろうか」「わたしたちの祈り」を分かち合い、発表してもらいました。
第四段階:そのあと、裸の祭壇まで行列し、祭壇の意味、布をかける意味、死と復活の象徴の説明をしてから、祭壇を飾ってもらい、聖体祭儀を様々なシンボリズムを用いて執り行いました。
この日の夜のテーマは『福音的(善い知らせを生きる)清貧』で、シルレーシスターが、福音書の後に「井戸の水をくむための究極の選択」の挿話を用いながら農家の現実に触れる分かち合いをしてくれました。
夜は、土地の主任司祭が我々のためにアサドを準備してくださり、しかも隣町の主任司祭も一緒に分かち合いに来て、祝いの時となりました。
午前中と昼食は、土地の聖霊会のシスターの共同体で、午後の青年の集いのための準備をし、また、昼食後にネストル修士がよこした、フィリピンで発表に使われた『南米の神言会におけるブラザーのアイデンティティ』のプロジェクションを鑑賞しました。
というわけで、午後3時から、再びジャクティンガに集まり、『あなたの生きておられるその場所を見せて下さい』の題目で集いをしました。
最近自分的にはやりになっている小さな足にどうやって祈りを覚えたかを書いて道に置いていく自己紹介をしてから、Sr.シルレーが『祈りとは』の講話をし、それからサムエルの召命の場面の劇をし、6つのグループに分かれてそれぞれ「どうして最初サムエルは神様の声を聞き分けられなかったのか」「わたしたちの現実で耳に入りやすい声は何でしょうか」「神様の声を聞き分けるために何が必要でしょうか」という問いを分かち合いました。
そのあと、6時から『使徒的(使徒たちがイエス様から学んだ)従順』をテーマに主日のミサを祝い、皆さんには来年の2月までに宣教グループとして成長してもらおう、という課題と、その2月に一緒に家々を回って集いをし、ウーゴ神学生の司祭叙階式に備えよう、という呼びかけをしました。
ミサを終えてから急いでゴベルナドール・ロカの主聖堂にもどり、そこでミサを終えようとしていた人たちに「お知らせ」の場面で我々の存在のPR、つまり、わたしたちが誰か、どこで何をどういう目的でしていたかを説明し、有志の人たちを、ミサの後ホールに誘い、ウーゴ神学生の「人生の歩み」のプロジェクションを披露しました。
こうして三日間にわたったジャクティンガとその周辺での活動の幕が降りました。