7月6日、コルドバ州で神学の勉強中の、メキシコからの神言会神学生ハビエル君が、うちのメキシコ人指導司祭エクトル神父のもとを訪れました。ところが、エクトル神父に豚インフルエンザの疑いがあり、外からの人との接触を避けられていたので、ラウル修士が「面倒見てやってくれ」と言ってきました。というわけで、まずはヴィリャ・カベリョ近くにある聖霊会の共同体を訪れ、ミサをささげてから翌日に備えました。
昼は、アザラから20キロの、コンセプスィオン・デ・ラ・スィエラの共同体を訪れました。ここに住む二人のインド人のため、また、一緒に行ったベトナム人のナム君の要望もあり、さらにメキシコ人も辛いものが好き、ということで、ガラム・マサラからカレーを料理してあげました。
コンセプスィオンからさらに45キロ東に走り、サン・ハビエルの町で、セロ・モンヘと呼ばれる巡礼地を訪れました。
聖堂内には、たくさんの聖像や聖画が残されており、信心業のある信者さんが、ここにお礼や約束の印にこれらを置いていっています。祭壇の上にはノートがあって、ここに、「ここに来たおかげで病気が治りました」という感謝の言葉とか、「子供ができますように」とか言った祈りが記されています。
聖堂外観
向こう岸はブラジルです。
この急こう配を、特に聖金曜日と十字架称賛の祝日に、人々は昇ってきます。
聖堂内には、たくさんの聖像や聖画が残されており、信心業のある信者さんが、ここにお礼や約束の印にこれらを置いていっています。祭壇の上にはノートがあって、ここに、「ここに来たおかげで病気が治りました」という感謝の言葉とか、「子供ができますように」とか言った祈りが記されています。
聖堂外観
向こう岸はブラジルです。
この急こう配を、特に聖金曜日と十字架称賛の祝日に、人々は昇ってきます。
サン・ハビエルから北へ80キロの、オベラに向かいます。
オベラで訪れたかったのは、日系人のカエリヤマ(還山)家。彼らは、なんでも自家製で日本食や土地の食事をやります。
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