自分に一番役立つ姿勢と方法であなたの祈りを始めてください。短い祈りの何かを唱えることもできます。「聖霊来てください、その子らの心を満たして下さい」や他の、自分に役立つ祈りです。あなたの全存在が神の現存のうちにあるようにと努めることは善いことです。
テーマ:識別すること-選択すること
決断というものは、人に対して行われていくものです。その歩みを定め、その人生に取り込まれます。勉強、仕事、読書、湧き出てくる概念、好み、他愛もない娯楽のひととき。そのすべてが決断の実りなのです。
わたしたちは自分の人生を、日々進めている一歩一歩で作り上げています。そしてこれを選ぶこと、拒むこと、間違えること、決定すること、といったことをするたびになしていくのです。
選ぶとは定義づけることです。そしてそれは決定的には生きることです。ここで、自問することができます。わたしがする決断は、自分のものだろうか、誰かのまねだろうか、それとも誰かから強いられてしているのだろうか、と。ここで語られるのが、人の行為です。自由な選択です。信仰者として、もし自分の選択が神のみ旨に適ったものであるならば、それはよいものです。わたしは自分の人生の歩みにおいて神のみ旨について問いかけているだろうか?
わたしは、立ち止まって選択について、自分が人生の中でしていく決断について考えを巡らせるために地平線を眺める時の自分ほどよい状態はありえません。どこで自分は誤ったのだろうか?より多くの実りを生み出すものは何だろう?。一秒一秒〈自分がしたいこと〉を知り、それをしなさい!!!
信仰を持つ修道者男女にとって、正しい決断は、神のみ旨、神のプランのなかでの自分の役割の探究です。
1.
自分がしたいことを知ることは、神が望んでいることを知ることです。
2.
これはただの内観ではないか?神に出会う時に自分自身と出会う、ということが扱われています。
3.
イエスは自分の人生を受けとめました。「わたしはいつも彼(父)の好まれることをしている」。
4.
神の好みのことを〈行う〉ためには、神が何を望んでいるかを〈知る〉べきです。一般的なみ旨があります。それは十戒であり、預言者たちや教会の声に耳を傾けることです。けれどそれはすべて日々の生活に翻訳されていかなければなりません。その後で日々の小さい決断、大きな決断が何千も残ります。そこでわたしは選んだり、手に入れたり、決断をしたりします。ここがキーポイントです。しなければならないことをする。
5.
現在を作り上げていくために未来に目を向けなければなりません。最終的に行動を導き、自分の生活の基準を刻んでいき、わたしがどこにいるのかを知り、自分が何を欲しているのかを見ます。皆さんは魔術や占星術に走る(ジプシーたちは手のひらを読みます)人がいることを知っています。くじを引くこと(マティアスを選ぶために弟子たちがしたこと)、(ある文化では、夫を選ぶために)も。いまだに占いは流行っています。預言者たちは未来を見ていました。何をすべきかを読み取って、これを民に告げていたのです。預言者がいない時、民は行き先も分らずさまよいます。
6.
詩篇の祈りに次のようなものがあります。「主よ、あなたの道を示して下さい」。砂漠を歩いて行く民にとって、よい道を知ること、正しい道を知ることは本質的です。風の動きに注意を払うことです。〈聖霊に〉。人生の砂漠をいく魂にとって、道を知ることは基本です。わたしのため、世界のため、小さいことにおいても、大きなことにおいても、その期間が短くとも、中くらいでも、長くても、です。
7.
神さま、あなたを知り、あなたのみ旨を知ることは、重要な務めです。砂漠にいたイスラエルの民は〈道しるべを見失いました〉。そして別の神々を探したのです・・・。見、触り、感じることのできる神々を。わたしたちを導くかもしれない偶像を。「金の雄牛」を。
8.
そしてこれは人類の全歴史を通して繰り返されます。わたしの個人的な歩みにおいてもです。自分でできる限り自分で何とかし、緊急事態に陥ったら神のもとにかけよる。けれど、反対でなければならないのです。そうやって、わたしたちのキリスト者としての人生を作り上げていかなければならないのです。まずはじめに、最初から、神です。神がわたしの決断を仕切りながら進むのです。神に出会うためには、わたしは神と共に生きなければなりません。
9.
〈識別〉は何と重要で、厳しいものでしょう。識別され、自由な心で受け止められたその「み旨がおこなわれますように」というフレーズです。「行われますように」というフレーズは神の栄光の要約です。世になければならない秩序の要約です。「行われますように」というフレーズはわたしの人生の、また宇宙のいのちの終着点(目標)です。実践において、これは次のような概念や願いに読み替えられるでしょう。「わたしは神さまあなたのみ旨を行いたいです」と。そのためにわたしはまずみ旨を知らなければなりません。知るために探さなければなりません。そしてふさわしい時に、日々の小さな決断において〈実行する〉ために〈知らなければ〉ならないのです。
結び:「心の道を選ぶ人は決して間違えることがない」。それをわたしたちは、「corazonar(corazón心+razonar道理を説く)心の伴った道理を説く」と呼びます。何千もの霊を上げることができるでしょう。常識をもって、心の伴った道理を得て。なぜなら知性も必要だからです。けれど忘れないでください。心の伴った道理を得て、です。ある母親がはじめてその嫁に入る人を見た時に、「なんかいやだわ」と心に感じたのですが、それを、誰にも、本当に誰にも言いませんでした。けれどあとになって、その女性が息子を捨てて他の男性のもとに行ってしまった時に、あの最初のときに「心の伴った道理があったのだ」と感じたのです。
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