2009年8月4日火曜日

7月25日の活動

聖ヤコブの祝日。この日、ポサダスから南東に70キロほどに位置するコンセプスィオン・デ・ラ・スィエラの教会で「青年と宣教使命」の題目で半日の集いを開きました。
 寒いのに、頑張って布団から出てきた若者たち。
 主任代行のジョニ神父による開会のあいさつ、インドから出てアルゼンチンについてからたった6カ月ほどなのに、べらぼうに美しく正確なスペイン語を話します。
 
日本では使い古されている遊びですが、アルゼンチンでは誰も知らない「蛇じゃんけん」。知り合いになっていくグループダイナミックの一環で使いました。名前も、「トレン・トレン・トレン」と、リズムのある名に変えて。

 
 部屋の真ん中に、道があります。「誰とどうやって祈りを覚えたか」を赤ちゃんの足のサイズの紙に書いて、自己紹介の一部として発表し、道の上にその足を置いていく、というグループダイナミック。ここから発展して、祈りの先にあるお方(神様)を述べ伝えるのに必要な姿勢についての講話をし、人間関係トレーニングに使われる、「聴く実習」をしました。

午後は、ファティマに戻り、月の初めにインフルエンザを防ぐために取りやめになった召命黙想会に来たがっていた青年たちを集めて、聖体賛美と個人的な対話の時を持ちました。

夜、ヴィリャ・カベリョに戻ると、ナム神学生が中華料理を作ってくれました。そのあと、「友達の日(7月20日)」を祝っていた祈りの集いの青年たちとちょっとした分かち合いの時を持つことができました。
 


黙想会(20日―24日)

7月20日(月)から24日(金)まで、隠居司教のカルメロ・フアン・ジァクィンタ司教の指導のもと、黙想会が行われました。小生は木曜日の夕方で引き揚げ、ヴィリャ・カベリョでの黙想会に顔を出し、たくさんゆるしの秘跡をおこないました。

 

 黙想の成果、でしょうか…?

「神様との約束の日」という名の黙想会への参加者たち。
 

チャコ州での召命募集活動(17日―19日)

17日、ミシオネスを後にし、340キロほど離れたチャコ州のレシステンシア市に向かいます。
 その道すがら、休憩がてらイタティのバジリカを訪れて祈りました。

18日、午前中はルハンの聖母聖堂で堅信準備中の学生のための集いを催しました。
 

 合間に改装中の司祭館のツアーをアダン神父がしてくれました。

午後、本命の、『あなたが生きているその場所を見せて下さい』という題名で「召し出しの集い」が、聖ペトロ共同体で始まりました。
 5つのグループに分かれ、各グループ、ある頭文字を手にします、その音から始まる単語で今日のこの集いに向かう気持を表そう、というグループダイナミックです。各グループが発表し終わったところで、
すべての文字がそろい、「召し出し(vocacion)」という言葉が目に見えるかたちになる仕組みでした。
 
 フリアシスターが「召し出しとは?」という講話をしているところ。

19日(日)朝、一度土曜日に家に帰ってきた仲間たちが戻ってきます。


パトリシアシスターとテレシタシスター。







はじめに前日の体験と個人の沈黙における祈りの印象を分かち合いました。



伴奏のグループ



  昼で召し出しの集いが終わりました。

午後は、もう一足運んで、聖女リタ共同体で、青年の集いを催しました。
   

ほこらの祝福

7月16日、カリタスで働いているオルガさんが、以前水飲み場だったレンガを利用して家にイタティの聖母の祭壇というかほこらの祝福をお願いしたので、行ってきました。共同食堂に朝食を取りに来る近所の貧しい子どもたちを招いて一緒に祈り、祝福し、そのあとみんなで菓子パンとココアを分かち合いました。

9日、10日

7月9日、イタティの聖母の祝日です。午前中、ポサダスから北東に約80キロの、ゴベルナドール・ロカの主任司祭を訪れて7月31日から8月2日までの活動予定を立てました。昼は、そこからさらに20キロのハルディン・アメリカのマルコス神父を訪れたところ、銀婚を祝っていた夫妻の家で昼食をとることになりました。

 ミシオネス的な典型的な料理をもってみました。白いのがマンディオカ芋。黄色いのはトウモロコシの粉とチーズから作られた、ソパ・パラグアジャ(パラグアイ風スープって、汁のないスープですけど)、紫色のがモルスィリャ(豚の血の腸詰)、その横の茶色いのが牛肉、アサドですね、で、後ろのご飯みたいに見えるのが、レビロといわれる、小麦粉から作られた食べ物です。
 ここで力を蓄えてから、さらに北東に40キロ、一人の神言会に興味のある青年を訪れてから、大急ぎでヴィリャ・カベリョまで戻りました。というのは、5時半にイタティの聖母共同体のミサを立てることになっていて、さらにそのあと、別の共同体で7時半から聖霊刷新のミサが待っていたからです。

翌11日は、志願院の一学期終業式でした。
 エントゥレ・リオ州出身のベルナルド君、この家で初めてアサドの腕前を披露してくれました。
 祭壇の前で感謝のひと時です。
 この日、エクトル神父がメキシコから買ってきたお土産のテキーラを開封しました。いいテキーラはうまい!

2009年8月3日月曜日

小旅行

7月6日、コルドバ州で神学の勉強中の、メキシコからの神言会神学生ハビエル君が、うちのメキシコ人指導司祭エクトル神父のもとを訪れました。ところが、エクトル神父に豚インフルエンザの疑いがあり、外からの人との接触を避けられていたので、ラウル修士が「面倒見てやってくれ」と言ってきました。というわけで、まずはヴィリャ・カベリョ近くにある聖霊会の共同体を訪れ、ミサをささげてから翌日に備えました。

7月7日です。よい天気に始まり、ここから約70キロ南にあるアザラの町に向かいました。
 アザラの町の教会
 この町に住む、神言会に興味のあるロベルト君の家を訪れました。

昼は、アザラから20キロの、コンセプスィオン・デ・ラ・スィエラの共同体を訪れました。ここに住む二人のインド人のため、また、一緒に行ったベトナム人のナム君の要望もあり、さらにメキシコ人も辛いものが好き、ということで、ガラム・マサラからカレーを料理してあげました。

コンセプスィオンからさらに45キロ東に走り、サン・ハビエルの町で、セロ・モンヘと呼ばれる巡礼地を訪れました。
 聖堂内には、たくさんの聖像や聖画が残されており、信心業のある信者さんが、ここにお礼や約束の印にこれらを置いていっています。祭壇の上にはノートがあって、ここに、「ここに来たおかげで病気が治りました」という感謝の言葉とか、「子供ができますように」とか言った祈りが記されています。
聖堂外観
向こう岸はブラジルです。
 この急こう配を、特に聖金曜日と十字架称賛の祝日に、人々は昇ってきます。

サン・ハビエルから北へ80キロの、オベラに向かいます。
 途中の町、パナンビの道路沿いにある展望台からの景色。

オベラで訪れたかったのは、日系人のカエリヤマ(還山)家。彼らは、なんでも自家製で日本食や土地の食事をやります。
 今回は、豆腐を準備していました。これは、大豆です。
 出来上がったチーズ。豆腐の見た目がこうした自家製のチーズに似ているので、土地の人は、豆腐のことを「ケソ・デ・ソハ(大豆のチーズ)」と呼んでいます。
 御主人は、マテ茶の精製向上の管理人で、この日、特別に精製過程を見せるために工場めぐりをしてくれました。企業秘密なので写真撮影はできませんでしたが。
 ちょうどこの日、お母さんが手作りで作っていた次女のユキちゃんのための着物が完成したということで、この外国人たちのために、着付けをして見せてくれました。ハビエル君も、ナム君も、大喜びでした。

2009年7月4日土曜日

神言会必携書西語版邦訳7

神である父

聖アーノルドヤンセン、

神の神秘にとらわれた男


 神の論理により深く携わり、すべてを支配される神の偉大さにますます満たされているのを感じるようになって、アーノルドヤンセンの祈りのスタイルだけでなく、発展的に様々な側面が形を整えていきます。考え方も変わっていき、最終的に、身の振りまで変わってきます。信仰の光によって、神的存在者の偉大さの観想に関して、早速答えがみられるようになりました。「わたしは至高なるお方、宇宙万物の主でありわたしの主であるお方をあがめよう。そしてそのみ旨を果たすことで彼に奉仕したい」

 実際、神の真骨頂の偉大さに取りつかれたアーノルドヤンセンは、1865年ころからその司祭としての人生において他の航路を取り始めました。より司祭としての、また司牧的なラインから解放されて、教区レベルの、イエスの御心に敬意を表した「祈りの使徒職」の促進者、のちに担当者(1869年)になります。「イエスの御心の大いなる意向」にフルタイムで携わるために、ボッホルトでの教師の座を降り、宣教の色彩ある雑誌「Kleiner Herz-Jesu-Bote(小さなイエスの心の伝達者)」を創設します。ドイツ出身の信仰の伝達者がより多く得られるべきだ、という憂慮が、のちに、彼をして宣教事業の創立者になるという神の召し出しの認識へと導いていくことになります。

Jacob Reuter, Cautivado y enviado por el Espíritu, Verbo Divino, Estella, 1996, 27.

7. 父の歩みに出会うこと

(神の動詞<みことば>聖書センター、ラファエル・カルサーダ)


黙想のためのみ言葉:

幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを/知らせるからである。これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、/高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、/我らの歩みを平和の道に導く。」(ルカによる福音 1章76節ー79節)

アーノルド・ヤンセンの面影:

「神のみ旨をしっかり知りなさい、そして、やる気を出して、技に取り掛かりなさい」


良い父よ、歴史の主よ、
わたしたちのまなざしを明らかにしてください。
わたしたちの耳に驚きを与えてください。
わたしたちの心を揺るがして下さい。
わたしたちの確信に揺さぶりをかけて下さい。
しつこく訴えて下さい、父よ、しつこく訴えて下さい。


わたしたちは、誤ったところであなたを探し、
わたしたち自身の声に耳を傾けることに
慣れ親しんできました。
そして昨日と同じく、
今日も歴史に生まれ、
動きのある命に生まれ、
わたしたちの身の回りに起こることに生まれ、
社会に生まれ、世界に生まれ、
家庭に生まれ、近所付き合いに生まれ、
仕事場に生まれ、勉強の場に生まれ、
すべてに生まれ、一人一人に生まれるあなたの呼びかけのこだまを
新たに見出すのがなかなかできずにいます。

聞いて下さい、父よ、
今一度学び直す必要があるのです。
どうすればあなたの歩みを見出すことができるのか、
どうすればあなたの信号を読み取ることができるのか、
どうすればあなたの声を聞くことができるのかを。
わたしたちを、信仰と希望をもって
「あなたはいのちの神」
「あなたは歴史の主」というに至らせる道を
わたしたちに示して下さい。
アーメン。