2010年10月13日水曜日

8月24日―26日、中高生への半日黙想会

ポサダスにある、教会付属中学校の生徒たちに、三日間、別々の学年に対して半日黙想会をしました。初日は3年生、「召し出しについて」、二日目は2年生、「マリア様とわたしの信仰生活」、三日目は1年生、「自分の内なる世界に気づく、祈りと信仰」です。


8月22日、オベラ教区聖霊刷新グループ黙想会

7月には青年のための黙想会がありましたが、この月には、青年を含めてですが、教区レベルでの聖霊刷新グループの黙想会があり、ウクライナ典礼のホセ神父が講話を進めて下さいました。小生は、ゆるしの秘跡のために顔を出しただけですが、典礼の順序が違って集中できないのを危惧したホセ神父にたのまれて、ミサの司式をしました。


8月22日、子供宣教団と中高生宣教団の祝い

8月は、アルゼンチンでは子供の月。
というわけで、OMPによる子供宣教団と中高生宣教団の子供たちが集まってこの月を祝って今した。小生は、ミサの司式に呼ばれたので、ノリノリでごミサを捧げました。


2010年10月12日火曜日

8月7日、エクトル神父の司祭叙階記念日

叙階された人にとっては、たぶん生まれた日よりも、叙階記念日は特別です。
それはたぶん、叙階の日は、新たな誕生を、それもただただ恵みによって与えられる、この世に贈られる経験を意識しながら体験するからでしょう。
この日は、メキシコから来たエクトル神父の司祭叙階記念と、うちのアメリコ助祭の叙階記念を一緒に祝いました。
 ミサの風景
 叙階の日に選んだ聖句の前で。「わたしの中で生きているのは、わたしではありません。そこで生きているのはキリストなのです!」
 パーティーの始め、わざとDJを装って、自分で「今日は、今からやってくるエクトル神父の叙階記念です。ようこそ」って笑いをとっていました。
 チャマメをおどりながら。
 ほっと一息、イエス様とマリア様の間で。

2010年10月7日木曜日

8月1日、ラウル修士の誕生日

ラウル修士の誕生日は、青年会のメンバーによるびっくり訪問から始まりました。

7月30日~8月1日、ポサダス教区の青年の聖霊による再刷新黙想会

チャコから帰ってきたとき、聖霊会に一人の志願希望者を連れてきました。彼女が修道院の方でシスターたちとの分かち合いと決断のための観想の時を過ごしている間、警察学校の講堂で行われていたポサダス教区、青年の聖霊による再刷新の黙想会に顔を出しに行きました。
講師はフォルモーサ出身のグループで、愉快にけれど心に響く会をしてくれました。
テーマは「けれどあなたたちは肉からのものではなく、霊からのものです。というのは、あなたたちのうちにキリストの霊がすまっているからです」



8月1日~2日、ポサダス教区の青年の聖霊による再刷新黙想会

7月24日~31日、チャコ州での滞在

予定されたプログラムに戻って、7月の最後の週はチャコ州に行きました。
最初はレシステンシアのみ言葉教会。
 聖霊による再刷新の青年たちの黙想会。締めくくりのミサを頼まれました。
 同じ日曜日の夜、10時から12時までのラジオ番組に顔を出して。

7月27日は、聖パンタレオンの祝日。チャコのパンパ・デル・インディオでは、「信仰の乗馬」と言う名の巡礼があって、この日、病気から解放されたい人たちや、ほかのいろいろな願い事をする人たちが、馬に乗って巡礼します。今年は、この巡礼が始ってから15年と言うイベントで、なんと、6千頭の馬が巡礼者たちと共にやってきました。もちろん、歩いていく人たちや、車で行く人たちもいるので、相当の人の入りです。
 無原罪の聖母像と聖パンタレオンの像に人々は近づいてろうそくに火をつけ、像に触れ、祈っていきます。 

 到着してくる人たち。
 ミサの司式は、司教様。
 馬の休憩所。

レシステンシアに戻って。木曜日の夜は、祈りの集いがあって、ちょうど証しのところで顔を出すことができました。

教会の向かいに住んでいる警察官の男の子は、祈りの集いのリーダーです。彼の家は、祈りに飢えた青年たちのたまり場で、この日、屋上で歌の練習をしていました。


帰り道、コリエンテの川沿いの道で。

7月17日~23日、み摂理の第三週


 締めくくりです。メキシコにいたはずの日々を、本当に霊的な返答をし続けて閉じました。
 これは、オベラでの第一回「キリストと共なる共同生活」という霊操研修会で、扉を開けたヴィクトル司教様は天におり、実は、同じ日の事故で、この研修会を指導する予定だったウーゴ神父様も帰天されていて、というわけで、本当に、責任者のみなさん、司祭を手に入れるのに悲しみと困難に満たされていたわけです。ここで、小生がひょっこりポサダスのミサに現われたものだから、責任者、「え、メキシコにいない?もしかして自由?」ということで、祈ったうえで小生に電話。「いやぁ、その日は、僕自身が黙想会に出て祈りの時をもちたかったんですが」「祈ってから応えて下さい。来る予定だった神父さんが、これなくなってしまったんです」……5分後、「わかりました、きっと神様、僕に別の黙想会を準備して下さるでしょう」と言う感じで、研修会の霊的指導を引き受けました。
 一か月の動きを見てきて、偶然と言われれば偶然ですが、なんだか、帰天されたヴィクトル司教様が自分の教区の信徒たちのために小生をメキシコから引き戻すように取り次いだんではないかな、などと、ほんわか思っています。
 そんなわけで、責任者に「ここまでの交通費、いくらかかりましたか?」と聞かれたので、「まぁ、軽く千ドル(メキシコ―コルドバの飛行機往復料金)

7月12日~17日、み摂理の第二週

み摂理と言うか、いいとこどりというか、結局自由になったので、必要な場に自由に顔を出せるようになったわけですね。それで、時間の有効利用で、色々動きまわりました。
 越系アメリカ人のナム君のお別れ会。海外研修を終えて、次週アメリカの神学校に戻る、と言うところです。

 
シスターたちの一日静修。要はピクニックですが、イタティの聖母の聖地に巡礼しました。この日は、大きいお祝いの前日で、各地から馬で、クリオーリョの恰好をした老若男女がやってきて、大聖堂の前で祈っていました。

 
ウーゴ神父の出身共同体で、前から「守護聖母の祝いには来て下さい」と言われていて、「あぁ、だめです、メキシコにいるから」と言って断ってきたんですが、どうせミシオネスにいるんだから、ということで、シスターたちを送り届けたついでにまっすぐジャクティンガのカルメンの聖母共同体で祝いに便乗しました。


で、じゃぁミシオネスにいるんだから、ということで、冬休みを利用して地元のファティマの青年たちになにか集いをしてやってよと主任のエクトル神父に言われて、ラウル修士と一緒に青年の集いを捧げました。

7月9日~11日、青年たちによる聖霊による再刷新の第一回黙想会。

 本当は、7月の2日から20日まで、メキシコでの養成担当者の研修会が企画されていて、これに行くためにコルドバから飛行機にも乗ったのに、ペルーのリマ空港での乗り換えの時に、「パスポートを見せて下さい」「はい」「あれ、どうして穴だらけなの?」「え?穴?」「ほら、これ、あ、VOIDって字が出てきた。だめだねぇ」「え、だめって?」「新しいパスポート、もしかして取得した?」「えぇ、はい、まぁ、ちょっと前に」「どこにあるの?」「いや、ポサダスの自室に」「だめだね、戻らないと」「えええええええええええええええ、でもこのパスポート、10年前に、7月28日に切れるってことで買ったんですよ!」「いやいや、新しいパスポートを手に入れた時点で、古いパスポートは使えなくなるの」「いや、そんな、まさか、グアダラハラで司祭の研修会があるんですけど、例外とかは?」「だってここで通しても、メキシコで同じことになって、戻らないといけなくなるんだから、はい、終了」という会話があり、まぁ、普通ならここで落ち込んで残念!というか切腹!となるはずなんですが、聖霊に満たされた状態にあると、「きっとこれは霊的なトリックがあるに違いない。神様がどうしてもこの期間をミシオネスで過ごせ、という何らかの理由があるだろう」という風にとらえることができるわけです。

 そんなわけで、大損とドジを踏みながら帰国をしたところで、早速「しるし」があったというか、おぼしめしと言うか、み摂理と言うか、もう7月は、本当に小生のカリスマを必要とした黙想会や個人的な面談に矢継ぎ早に囲まれました。その一つがこちらの黙想会。

 実は、この黙想会、去年発足したオベラ教区の司教が、自ら聖霊刷新グループの指導司祭として名乗り、新教区初の黙想会の扉も開き、けれども5月の下旬に世を断たれて、グループのみなさん、牧者のいない羊のようになっていたわけです。で、前々からこの日付に呼ばれていたんですが、「いや、メキシコにその日程いることになっている」とずっと断ってきたんですねぇ。結局、他にすることもなかったので三日間黙想参加者の一員として、と思って顔を出したら、最終的に霊的指導を最初から最後まですることになりました。
 しかも、黙想会のタイトルは、ヨブ記からとって「かれらはわたしから名誉を取り去り、わたしの頭から冠をはぎ取った」というえげつないタイトルで、このタイトルを聞いた一か月前に、責任者に、「本当にこんなタイトルで黙想会するの?」と、まぁ自分には他人事だろうと思いながら半分嘲笑っていたんですが、ちょうどこれはまさにお金のかかった証しを小生がすることになったんですね。「わたしから管区を代表する名誉を取り去り、わたしの財布から飛行機のチケットをはぎ取った」(大笑)、けれど、これでめげずに神様の摂理に信頼し続ける人は、すぐにより大きな恵みに開かれる、という締めくくりをしたわけです。神に感謝!

 歌に体で応えて神に向かう準備をします。
 個人黙想の時間。
 食事!
 グループでの学びと霊的体験に関する分かち合い。
 総合写真!

7月3日、飛行機から降りて

アルゼンチンがドイツに負けた日、後記いたしますが、メキシコの土をもう少しで踏む、ということろでドジを踏んで、おずおずペルーからコルドバの空港に戻りました。そこで、志願院を通ってミシオネスに向かう、という。

けれど、召命斡旋担当者は斡旋する人なだけあって、へこたれてはならない。早速志願生たちと祈りの時を分かち合いました。

午前中、ミシオネス行きのバスチケットをとりに行った時、うちの会の本屋に寄ると、「夕方5時の癒しのミサに顔を出してよ」と言われて・・・

パラグアイが試合をしていたというのに、2000人もの人が癒しを求めてミサにやってきていました。

ミサが終わったところで、ミサにボランティアと音楽の奉仕をしていた青年たちに、「これから何するの?」と聞くと、「バーにいって夕飯です」と言うので、「俺真夜中の11時55分がバスの出発時間だから、一緒にいていい?」というかんじで、バーに行って分かち合い、歌までギター弾きながら歌って、宣教師みたいな夜を過ごしました。ほら、へこたれない、へこたれない。

2010年10月6日水曜日

6月29日、聖ペトロと聖パウロの祝日

二人の聖人の祝いに、カルメル観想会のシスターたちが、司祭たちに対してオープンハウスを催しました。その最初の部分は、カルメルの霊性に従った観想の一時間、その後、観想修道院内の中庭でガーデンパーティーでした。



夕方には、司教司式の修道者たちに向けてのミサがあり、神言会の神学生たち、大いに活躍していました。