第一週:第四日目
「賛美の祈り」
「賛美の祈り」。座っても構いません。十字架を注意深く眺めます。「主よ、お望みでしたら(御心ならば)、わたしを清くすることがおできになります」(マタイ8章2節)。主に信頼します。主に向かってわたしたちの両手を上げてみましょう。わたしたちにいのちを伝えた家族のことを思い出します。わたしたちの人生に関わる人々、場所、出来事の瞬間を思い出します。賛美と感謝を捧げます。
テーマ:礼拝している相手の神は一体どのような方なのか。
自分の振る舞いは自分が信じていることによって条件づけられています。神への自分の信仰によって、どのように神を捉えているか、どのように神を呼ぶか、どのように神に祈るか、どのようにその掟を解釈するか、神に何を求めているのか、何を信じているのかによって条件づけられるものです。それは自分自身の要約にもなりうるものです。
1. わたしの神はイエスの神です。どのようにしてその友情が形作られていったか=福音書、読んできたよい本、わたしの人生に影響を与えてきた人々を通して。神:近さと遠さ。「尊重と畏敬」。従順な礼拝。主の祈りを唱える時に、いつも「謹んで(畏れ多くも)唱えましょう」と言っている。
2. 「神の像を作ってはならない」。神にはぴったりの絵や像はない。神は想像しえない存在。二つとない。たった一つの考えだけで答えない。時間や場所に縛られていない。神は「新しい歌」(イザヤ43章18―19節)。
3. ヘブライ世界では、名前を用いるということは、その人となりを用いること:神を用いるというのは・・・もし人を操るのがその人の尊厳に対する侮辱であるならば、神の名を操るとは、どれほどのことか!!しかもその名において二つの党派が互いに殺し合っている。神についての異なる理解、さらには正反対の理解をもった人たちが一緒に生活している。リンカーンへのモニュメントに、「双方とも同じ聖書を読み、多くの人々が同じ神に祈り、神から自分の軍隊の勝利を期待していた」(アメリカ合衆国の市民戦争)とある。
4. どのような神を作り上げているだろうか?もし神の名において互いに殺し合うなら、無神論者になった方が良いのではないか?最近起きていることの地図を追ってみよう。神を操ること、「政治的」理由で神を利用することは、人を無神論者にする一つの形態になっている。
5. 「穴埋めの」神のイメージの危険性もある。多くの人たちは力がある間は神のことを思い出さない。病気になって神のことを思い出し始める。ろうそくに火を灯すことや約束の行などをしながら。人と人との関わりは極貧に基礎を置くことができない。昔の布には多くの「穴」が開いていた。つまり困難がたくさんあり、そこで神を雷の中に見たり、病気の中に見たりなどしていた。今日では、多くの発明があって、多くの人は神を必要としていない。迷信は多い:宝くじを聖像の下に置いたり、病気や困難を治してもらうために約束事をしてこれを果たす行をしたり。ヒンズー教は神の三つのモデルを提示している(モデルは現実ではない。それは領域の地図を混乱させること)。
(ア) 信心のモデル:わたしたちを造り、わたしたちを愛する。摂理的。
(イ) 否定の神:その認識のための道として、これでもなく、あれでもない・・・神を知ることにはなっていない。
(ウ) 行為のモデル:義務を果たすこと、善を行うこと。そうして人生の中で少しずつ上位に挙がっていく。
この三つのモデルが同時に共存することもあり得る。
6. 宗教テロリズムは宗教が到達しえてしまった堕落の果てである。憎しみが育っていくのを見るのは悲しいことである。自分の生活の中や自分を取り囲むすべての人の中でどうなっているのかを見直すのはよいこと。
7. 神には違いがある。神は、神が来るために立ち退かなければならなかった。「わたしが(父のもとに)去って行かなければ、(弁護者・聖霊は)あなたがたのところに来ないからである」(ヨハネ16章7節)。この去っていくことと来ることのプロセスは神に属しており、人間や自分の人柄には属していない。
人には神がその人にどのように自らを示すかの様式を選ぶことはできません。
人にはただ敬意を示し、期待し、驚かされ、目覚めて注意深く生きることのみができるのです。「思いがけない時に来る」(ルカ12章40節)。
神はわたしたちの人生の大きな課題です。もっともっと知るべきところが出てきます。
神が神であるように任せることです。自分の祈りをささげ、自分の祈りの習慣を続け、神にいつでもその望む時に来てもらえるように「自分の家」の扉を開けっぱなしにしておくことです。
家族を持つある父親は、一人娘が自殺したとき、その家にあった絵をすべて壊しました。そうです。神に作られたイメージが壊れたのです。神がわたしたちに示したいと望む本当のイメージが生まれますように!「主よ、わたしたちにみ顔を示して下さい」
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