週末の多様な奉仕と、精神状態の乱れから、朝からなんとなく気分がすっきりしない日でした。しかも、このところ黙想しようとしても落ち着きがなく、「これではいけない」と思いながらも日々が過ぎており、霊的な渇きに気づいてはいても、どうにもうまいことバランスをとれない感じでした。
それで、朝から、志願生たちに、「今夜、刷新のミサに行かないか?」と尋ねていて、まぁ是が否でも聖ロケ・ゴンザレス高校の中庭で行われるミサに行く予定を立てていました。とりあえず、休日ということで、しっかり昼寝をした後、聖霊の働きを願う歌を歌として歌っていたわけですが、きっとこれもなんらかの仕方で自分を準備していたのかもしれません。
夕方、時間になっても志願生たちが現れないので、一人で車に乗り込んで町まで出かけました。火曜日の夕方だというのに、高校の中庭には、ミサのために600人以上の人が集まっていました。

心のうちに起きた出来事を話すのは簡単ではないけれど、このミサに出られて本当に良かった。神様が僕の足を向かわせてくれたんだ、と心から思いました。ミサの前に、一人の友人に、「元気?」と普通に尋ねられて、応えたのが「たるんでるんだよ」という返事なのだからめいっていたわけで、ミサを共同司式するかどうかも実ははっきりしていなかったのです。
けれど、栄光の賛歌を歌い始めた時、自分が高校生、大学生くらいだった時の「気分が乗らないけれど何かを求めて頑張って賛美の歌のために声を上げる心理」がフラッシュバックして、あぁ、神様はぼくがこの今の青年司牧をより目覚めた形で進めることができるために、この乗らない気分を準備してくれたんだろう、と確信しました。時には、罪の意識にさいなまれるときもあるけれど、ともかく神様を求める気分、中途半端だけれどなんとかしてすがりつこうつする気分、そういう気分でも、頭をもたげる力を神様は与えてくれる。
そんなことを考えながらホアン神父様の説教を聞いていたとき、彼がマリア様が受胎の告知を受け、その親戚エリザベトのもとを訪れ、彼女からのあいさつを聞いた時に、「わたしの魂は主の偉大さを歌う」という言葉を発した場面に触れ、この時点で、僕も神の現存の観想に導かれました。あの聖霊に満たされたマリア様が今日もこんなに中途半端だったり罪深かったりする我々のために祈り、すでに神様に舞い戻る時を覚えながら先立って神様をたたえているのだから、今日舞いもどろう、そう思い、賛美を始めたら、頭から腰まで、また手の指先から肩の付け根まで、体の中がジンジンしてきて、聖霊が働いてすこしずつひねくれてしまってきた僕の内なる世界を整えて行ってくれているのを実感しました。
普段、こういう霊的体験はせず、どちらかというと体に反応のでない知的な慰めが多かっただけに、改めて昨晩、神様がこの大きな神秘体験をできるように、そして宣教の視野を広げるようにと、すっきりしないあの気分も準備して下さったのだ、そう心から思うことができました。神に感謝。



聖ロケ・ゴンザレス高校正面
受けた生に、乾杯!
歌手も来て場を盛り上げてくれています。
祝いにはダンスがつきもので、ホアン神父も踊らされていました。
会員兄弟たち。この日、当管区にいるインドからの司祭、修道者会員が全員集まることができました。
祝いに来ていたこのグループは、この高校で黙想会とかを企画指導しています。卒業生ですが、若いのに、うれしいですね。






いわく、ロクロとエンパナーダは国民の祝日に食べられる伝統的な料理だとのこと。右手下に見える白いものは、マンジョッカの炭水化物質をチーズと混ぜて作られた、パラグアイの風土料理「(ム)ベジュ」、




出迎えてくれたのは、黙想会に使っていた農業学校の校長先生。パスタ・フロラというタルタで旅の疲れを癒してくれました。奉仕の道は召し出しの道。
オベラにいる聖霊刷新のグループがライフ・セミナーをしてくれました。青年たち、心からこの貴重な時間を満喫していました。
その間、隣の部屋では御聖体に向かって取り次ぎのグループが賛美の祈りをささげ続けていました。どんな黙想会でも、聖体賛美によって支えられる場合とそうでない場合とでは、本当にはたらきが異なります。聖体の前で祈りをささげ続けている修道会もあるわけで、そういう召し出しもたくさん芽生えるといいですね。

キャンプファイアーのノリで、フォークダンスっぽいものもありです。

朝、イエスの御心教会の青年が、土曜日の夜の予定を打ち合わせに、従妹を連れてやってきました。聖霊をテーマに講話を担当することになっていたわけですが、彼女が持ってきたのはタイムテーブル。







