2009年5月23日土曜日

サンタリタ・アリストブロ・プエルトリコ・オベラ、帰路

朝早くサンタ・リタの町を去り、アリストブロに向けて40キロの道を走りました。圏内に入ったところで、僕がアリストブロの助任だった時にしばしば訪れた学校で大規模な工事をしている様子が見受けられたので、車を止めて見に行きました。去年小さな部屋で始めた中学校のプランがあり、これがうまく波に乗ったので、校舎を作ろう、というのです。その間、学生たちは簡易のプレハブ教室で勉強を続けます。教育のスペースが広がっていくのを見るのは、本当にうれしいですね。

というわけで、学校の目の前に住んでいる夫婦を訪れました。彼らは歌とギターでミサを支えてくれる、祈り深いご夫妻です。今度もサンタ・リタの祭りにはミサの伴奏をしに行く、とか。音楽を通しての奉仕に召し出して下さった神様が、二人と子供たちを祝福して下さいますように。


プエルト・リコ市での約束の時間が9時だったので、8時にはアリストブロを出たいと思っていたんですが、ああやって道草を食ったばかりに、アリストブロについたのがちょうど8時。軽くマテの濾し茶を飲んでからさぁ出かけよう、と思ったら、「昨日ベロニカさんが子供を産んで、病院にいるんだけど、顔出してほしいって言っていたよ」と言われ、「時間がないから、今度家に直接行くって伝えて」と言い残して出たものの、気になってやっぱり病院に行き、ほんの数十秒、祝福だけのための面会をしてきました。
ベロニカは聖フランシスコ礼拝堂の要理担当者でした。それもあって、恋人ができた時、婚前性交渉をいやがって、恋人に堅信のための準備をして結婚にたどり着いたという、すてきな模範を示してくれた子だっただけあって、要求にこたえてあげたかったのです。生まれた子はディエゴ・ロドリーゴ。聖なる環境を家族みんなで作り上げていけますように。

大急ぎで向かったプエルト・リコ。カルロス神父との約束の時間に無事間に合いました。カルロス神父は、以前小神学校の指導司祭で、召命募集の活動をしていた人でもあります。だから、彼の経験からの意見を尋ねに訪れたわけです。よいアドバイスとアイデアを分かち合ってくれました。

ついでに、教会の向かいにある聖霊会の共同体と学校を訪問しました。そしたら今から8年前に友達になったきり会わずにいた女の子に会えました。当時は哲学科の学生でしたが、今はこの学校で哲学の教べんをとっています。学んだことが天職につながる姿は、うれしいですね。これもまた召し出しです。

昼ご飯は、霊操研修会でいっしょに奉仕をした家族を訪れることにしてあり、その前にこの家の主人が開いている、プエルト・リコ唯一の地ビール工場を訪れました。それにしても、父になる、また母になる召命を生きている二人とその子供たちに囲まれて、改めてすべての家庭がこんなに神様の愛に満ちたものとなれたら、家庭というものに呼び掛けている神様の本来の召命に応えていたならどんなによいだろうか、と心から想い、祈りを捧げました。
 

プエルト・リコから60キロくらいのところにある、ゴベルナドール・ロカという町の主任司祭を、今度行われるその町出身の神学生の立てる終生誓願準備の件で、訪れようと思ったのですが、あいにく留守でした。せっかくなので、この教会の敷地内にあるチェントコバのマリア様(かの有名なポーランドの黒いマドンナ)のほこらでお祈りを捧げました。

いっぺんオベラに忘れ物を届けるため、サンタ・アンナの十字路から40キロの道のりを往復してからようやく帰路に就き、ファティマに戻ってきたのは6時半でした。今日の走行距離は300キロ近くになって、さすがに体力に疲弊を感じました。でも、戻ってきてから召命を求めるミサを共同体のみなさんと一緒にささげ、それから聖霊降臨徹夜祭を準備している宣教グループの学生たちの会議に顔を出して、アイデアを分かち合いました。

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