2009年5月20日水曜日

5月19日

今日は、チャコ州からの帰りに、コリエンテ州のイタティを通過することが分かっていたので、管区長に「聖地お参りしましょう」と提案したら、呑んでくれました。ちょうどミサをささげていたので、参加してから帰路につきましたが、ここで、召命募集のため、志願者たちのため、我々の宣教の使命の導きのための照らしを願って、祈りをささげてきました。司祭としてミサを司式する、あるいは共同司式でも祭壇の内陣にいることばかりだったので、今回信者の席で参加しながら懐かしい体験と、新たな体験をすることができました。司式するときには取り次ぎ手としてなるべく私事を持ち込まないようにしてミサをささげるのですが、今日は、ミサの前から管区のことで気にかかることがあったので、どんな気持ちで信徒としてミサに向かって行くのか、落ち着かないときの気分はどうなのか、いろいろ感じることができました。その中でも、主に平和を求める祈りの時の今日の霊的体験は、格別でした。平和は、精神的なこととしてとらえられることが多いけれど、知性にも、時間概念にも、空間概念にも働き掛けるすごい力としてとらえられるのだ、というのを、改めて体験させてもらいました。
 

ポサダスに戻り昼食を取ってから、バスに乗ってのファティマへの道すがら、デモの交通妨害がありました。というのは、ある集落で、ある建設会社が工事を始めたものの、安全のための塀を作るのに、二年たってもまだなんともしていないため、集落の人々が会社に対して、責任を取って安く早く上げるようにとの要求をしているのです。ともかく、それでバスから降りざるを得ず、降りたところで、ミサでの音楽奉仕グループ「雷の子」のメンバーが、僕のことを呼びとめました。ちょうど彼のやっているお菓子の問屋の前でバスから降りたのです。店を見せてくれたので、問屋を始めた時を聞くと、約一年。祝福はしたのか尋ねると、まだだというので、せっかくだから祝福してきました。

  
こうした交通妨害ですが、自然環境に反しているんですよ。今回は段ボールを燃やしていただけだけれど、時には、特に大規模な政府へのデモだったりする場合には、車のタイヤのゴムを燃やして圧力をかけたりするんですね。常識が狂っている、というか・・・。

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