2009年5月25日月曜日

赦しに満ちた一日(5月23日)

土曜日は、ファティマの共同体で堅信の準備をしている青年たちへの赦しの秘跡から始まりました。
 
ちょうど香部屋で赦しの秘跡をしていたら、蚊が十字架のイエス様の足にとまって、「なんとかしてわたしも御血をいただきたいものだ」とそれこそ2時間くらい頑張っていましたが、願いかなわず・・・。

昼にアリストブロから電話がかかって、あっちの町で堅信準備黙想会をしているが、その参加者のゆるしの秘跡を手伝ってほしいとのことで、140キロの道のりを往復しました。
 出迎えてくれたのは、黙想会に使っていた農業学校の校長先生。パスタ・フロラというタルタで旅の疲れを癒してくれました。奉仕の道は召し出しの道。
 オベラにいる聖霊刷新のグループがライフ・セミナーをしてくれました。青年たち、心からこの貴重な時間を満喫していました。
 その間、隣の部屋では御聖体に向かって取り次ぎのグループが賛美の祈りをささげ続けていました。どんな黙想会でも、聖体賛美によって支えられる場合とそうでない場合とでは、本当にはたらきが異なります。聖体の前で祈りをささげ続けている修道会もあるわけで、そういう召し出しもたくさん芽生えるといいですね。

で、本来予定されていたこの日のスケジュールに戻りました。ファティマの隣のイエスの御心教会での学びの時です。最初は、ジェスチャー付きの賛美の歌で始まりました。リードするグループのみんなも楽しそうです。

 
 キャンプファイアーのノリで、フォークダンスっぽいものもありです。

そのあと、よくわからないけれど、本来講話を頼まれていたのは私だったんですが、いきなり一人の青年が「分かち合いたい」と出てきて、聖霊の働きにおける家族との癒しのテーマを分かち合ってくれました。ちょっとお涙ちょうだいっぽくて、しかも傷を見せるだけ見せて癒しの祈りをし忘れているような感がありましたが、そのあとでまだ聖体礼拝とかが準備されていたので、ま、こういうものなのかな?と思いながら聞いていました。どうやらこの共同体の青年たちは感傷的になるのが好きらしく、とりあえず私にマイクが渡された時は、時間も押していたので手短に「聖霊は、感情だけでなく、知性や、肉体、あるいは取り巻く環境にも働き、病んでいる場合は癒しのわざも行うので、別に泣かなかったから聖霊が働かなかったと思うことはないよ」というテーマで聖霊のわざに関する補足をしながら、傷を神様の光に照らして他者の善のために使ってもらう時に、生き方の意味が変わる、という内容で分かち合ってきました。
そのあとは、12時を回っていましたが、小グループでの分かち合いです。このあたりで志願生たちを連れて引き揚げさせてもらいましたが、彼らは夜の1時から2時まで聖体礼拝のために聖堂にとどまっていたようです。

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